茅渟湾亭

茅渟湾亭は「ちぬわん・てい」と読みます

Chromebookの登場を予言した私が考える、10年後のコンピュータ

ついさっき、自宅のNASを漁っていたら10年前に作った資料を発見した。
ファイル名は「10年後のコンピュータver1.pdf」。これは高専1年生だった、2010年当時の自分が学校課題で作成したスライド資料である。

Chromebookの登場を予言

恥ずかしいので資料自体のアップロードは避けるが、まとめ章に以下のような記載がある。

これらから考えられる方向性(2)

国内の殆どの地域で、高速有線インターネット接続及 びモバイルインターネット接続が可能になる
◦ それを受け、ネット上のサービスはますます便利になり、OS とブラウザのみを搭載したようなPCが登場する。Officeス イートなどは全てオンラインで利用。

10年後のコンピュータver1.pdf
強調は2020年の自分

この資料を作ったのは2010年1月Wikipediaによると、「OSとブラウザのみを搭載したようなPC」即ちChromebookの発表は2011年5月つまり私は立派な預言者だったのである(大袈裟)。

 もっとも、2010年当時既に「Windows Live SkyDrive」とか、「Googleドキュメント」「Office Live Workspace」などのクラウドサービスは開始されていたので、単にそのサービスが流行るという予言でしかないのだが。

2010年代のコンピュータとは

2010年代のコンピュータを語る上で、「スマートフォン」というデバイスの流行りは外せない。

2010年といえば、iPhone 4が発売され、年末に国内でLTEサービス、docomoのXi(クロッシィと読む)が開始された頃である。

つまり、当時のスマートフォンは4インチ程度の画面に10MBps→75MBps程度の通信速度だった訳だが、2020年の今日では6インチ程度に5Gならば数GBpsである。この進化は大きい(しかし、2010年当時に十分予見可能な方向性でしかないとも思う)。

ただ一方で、(あくまでコンシューマ向けに限るのだが)スマートフォン以外に流行ったコンピュータ系のデバイスも特に見当たらない。Windowsに至っては7が10になっただけである。

2020年代のコンピュータとは

話はあくまでコンシューマ向けに限る。

1. 5Gは流行るのか → 4Gほどではない?

4Gという通信環境が2010年代にあれだけ普及したのは、スマートフォンというデバイスと相性が良かったからだと思う。しかしスマートフォンに、もうこれ以上の通信速度、低遅延が必要なのだろうか?

つまり5Gが流行るためには、単に通信規格としてどれだけ優位かというだけでなく、5Gを必要とするようなデバイスの普及が必要不可欠だと思う。ただし、このデバイスは別にコンシューマ向けに限る必要はないので、僕の予想もしない方面(例えば、自動運転とか)からの必要性があって、5Gが普及する可能性も考えられる。

2. パソコンは、もう進化しない

パソコンはもう枯れたデバイスだと思う。2010年頃は、直前に7インチ程度のネットブックの普及などもあったが、結局はなくなってしまったように、やはりパソコンにはノート型で10インチ台、デスクトップ型で20インチ台の画面サイズが必要なのである。

ただし、人間の手の大きさや視力が急にアップグレードすることはないので、これ以上も要らないと言える。4Kモニタは十分に綺麗だ。

大きさ以外の性能面からしても、2010年代はx64環境への移行、シングルコアの周波数競争からマルチコアへの移行、HDDからSSDへの移行などがあったが、ノイマン型コンピュータとして単に正常進化(いや、単に高速化)しただけで、これ以上の進化は見込めないのではないかと思う。

3. 容量無制限だけは実現しない

先日、Googleフォトが高画質での容量無制限を取りやめると発表した。

2010年代に自分はSafeSyncやBitcasaといった、容量無制限を謳うオンラインストレージに手を出しているのだが、いずれも早々に破綻してしまった。

そして天下のGoogle様でも、写真の高画質モードに限定しても、容量無制限は無理だと匙を投げたのである。

4. そして人々は違う正しさを見る

0x2d1.hatenablog.jp 2010年代に流行ったWebサービスとして、Twitterを外すことはできない。

しかしTwitterは、2010年代を経て、なんと憂鬱なプラットフォームになってしまったのだろう。人類には早すぎたのかもしれない。

僕が言いたいのは、技術がどう進歩しようとも、結局はそれを使う人々が「アップデート」されることはないので、あまり明るい未来はやってこないのではないか、という暗い考えである。この考えが的中せず、世界が平和になる2020年が訪れることを希望する。