Twitterがいつものように愉快だ。
「パンケーキ」についてはネットメディアの記事で一部始終を把握した。「献血」については何も知らない。
しかしTwitterはいつからこんなめんどくさいプラットフォームになってしまったのだろうか。
自分の観測範囲でこのようなめんどくさい話題が盛り上がっていたのは、2011〜2012年頃のいわゆる「放射脳」のときが最初だったように思う。
それ以来、Twitterは現実世界でのイデオロギーの対立がそのまんま持ち込まれるめんどくさいプラットフォームと化した。それまでは、例えば風呂に入れば「●REC」とか「ほかてら」とか言っているだけのSNSだったが、以後は右と左や、金持ちと庶民のようにユーザーが分断されているように思う*1。
そしてみんな見ている「事実」が違う。万歳ポスト真実の時代、である。誰かが「真実はいつも一つ」と言っていた気がするが、現代においては違うのである。
そんな時代だと、人々はどうなるか。右や左にどんどん先鋭化していく者、あるいは「表面上は」ノンポリを装う者……そこにあるのはコミニュケーションのディストピアではなかろうかと思うのだが、今日もTwitterを開かずにはいられない*2のだった。